親の「未解決の心の傷」が子育てに影を落とす・・・ママ・パパが向き合うべきインナーチャイルドとは?
「子どもの頃に親からされて嫌だったことを、わが子にもしてしまった」という経験がありませんか?
子ども時代、私たちは怒りや恐れ、寂しさなどの感情や、心の傷に無意識に蓋をしてしまうことがあります。しかし、その感情や心の傷は、大人になった今も消えずに残ってしまうこともあるのです。
私たち親が、自分が受けた子育てをわが子に繰り返してしまうとき。それは自分の心に内在する「インナーチャイルド(内なる子ども)」が、今も残る未解決の心の傷に気づかせようとしているサインかもしれません。
子育てに関する多くのカウンセリングを行ってきた、元・精神保健指定医の斎藤裕先生と、心理カウンセラーの斎藤暁子先生。
お二人による著書『ママ、怒らないで。(新装改訂版)』は、ママ・パパが、過去自分が受けてきた子育てに潜む未解決の心の傷と向き合うきっかけとなる一冊です。
本書より、インナーチャイルドの声に耳を傾け、自分を癒す手助けとなる一節を、抜粋・編集してお届けします。(編集:nobico編集部 中瀬古りの)
※本稿は、斎藤裕, 斎藤暁子著『ママ、怒らないで。(新装改訂版) 』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)から一部抜粋・編集したものです。
インナーチャイルド(内なる子ども)の訴えに応じる
「人を許せる寛大な人でありたい」、「許して楽になりたい」と多くの方が願っています。しかし、「許せる人間にならなきゃ」と思うとき、人はどうしても寛容で寛大な人格者を理想に描き、『許した』という”言い聞かせ”の状態になることが多いものです。
もしくは、親に対する恐怖心が強すぎるため、許せたつもりになって向き合うことの苦しみから回避しようとするケースも存在します。
反面、どうしても許せなくて苦しんでいる方も多く見られます。
その苦しんでいる方に対して、『過去のことだし、許して忘れなさい。親も親なりに苦労したのだから』などと投げかけられることがありますが、『許す』ことにとらわれる必要はありません。
むしろ、『許す』ことで苦しみに決着をつけようと、許せたつもりになっていると、回避したいはずの問題に繰り返し悩まされてしまいます。
インナーチャイルド(内なる子ども)が息苦しく傷を抱いたまま取り残されている限り、自身の子育ての中から出てくる問題や対人関係の困難さなどを通して、インナーチャイルドが本当の自分を取り戻したいと(息苦しさや心の傷の回復を求めて)、叫び続けます。
よくあるケースが、ママ・パパ(以下、「ママ」にパパを含む)自身が「子どもの頃に親からされて嫌だったことを、わが子にもしてしまう」というものです。
たとえば、子どもがママの言うことを聞かないとき、ママの親と同じような口調でわが子を叱責してしまう、または叩いてしまう、親の価値観をわが子に押しつけてしまう、親の期待に沿うようにコントロールしてしまう、などなど……。
これらはまるで、幼かった頃のママ自身の心の傷となった体験や出来事(ママの親からの言動)を確認でもするかのように、「ママの親→ママ」、「幼い頃のママ自身→お子さん」に置き換わった状態で、再現(追体験)しているかのようです。
つまり、「(幼い頃のママの)親との間で起こった出来事で受けた心の傷」が、過去のものとならずに、”現在”という時間の中で浮遊していて、大人になった今のママとわが子の間で、「心の傷となった出来事」を再現して、”未解決のままだ”ということに気づかせようとするのです。
このことを通して、「ママ自身が子どもだったときの親との関係で解決していないこと」、「傷ついた自分について」を直視するように促しているものと考えられます。
ですから、このインナーチャイルドが十分に救われたかどうか、インナーチャイルドが十分に納得したかどうかということが、非常に大切なことなのです。
ママが、幼い頃の自分自身でもあるインナーチャイルドの訴えを拾ってあげることができ、『自分の心に正直に、誠実に生きること』ができるようになれば、ご自身や子育てに関わる問題で悩まされることは少なくなるのです。
心が『許す』ことに同意しない
対人関係においても、たとえ現在関わっている人が苦手だからと切り離して距離を置いたり、つき合いをやめたりしたとしても、インナーチャイルドが救われていなければ、回避したはずの問題や相手が繰り返し訪れます。
インナーチャイルドは、再現されている事象を通して、生い立ちの中の悔しかった思い・つらかった思いに気づかせようとするからです。
「子ども時代の不平等な関係性や負わされた心の傷の責任は、自分にはまったくなかった」という事実について深く認識させようとするのです。
それはまるで、心の奥底にひそんでいる怒り・恐れ・悲しみ・寂しさ・憎しみ・嫉妬・劣等感・罪悪感・自責感などの”負”の感情や、放置されたままの心の傷が、子どもの頃の悔しかった・つらかった出来事や自分の心に傷を負わせた相手と置き換わるような代用者を、引き寄せているようなものです。
そのときの心の傷や感情が、その存在を知らせるかのように訴えかけ続けるのです。
見方を変えれば、自分の心に傷を負わせた相手のことを許すべきだと思っても、心(感情)が許すことに同意しないという現象がつきまとっている、ともいえるのです。
ですから、AC(または、広義の愛着障害を含む人間関係における慢性的なトラウマ)からの回復のポイントとしても、繰り返しになりますが、このインナーチャイルドがいかに救われていくか、またはインナーチャイルドが納得してくれるか、ということが重要なのです。
『許す』ことにこだわらない
このようなことから私は、自分の心に傷を負わせた相手を『許す』ことにこだわる必要はないと伝えるようにしています。
仮に、心の傷を負わせた人がその事実や過ちを認め、さらに、その責任が自分にあることを認めたうえで、心の傷を負わせてしまった相手との関係修復に努めたり、心の傷を負わされた側の気持ちになって『許し』を得るための誠実な姿勢や行動を取るのであれば、心の傷を負わされた人にとって、『許す』『許さない』といったことは問題ではなくなるでしょう。
では、心の傷を負わせた人がその責任を取ろうとしなければどうなるのか、いつまでも『許し』は訪れないのか──それについてお答えしたいと思います。
許すかどうかの答えは、大人になった今の自分が、心に傷を抱えたまま放置されているインナーチャイルドを納得させてあげられるだけの行動、つまり、必要とされる具体的な行動を取ることでもたらされる感覚の中にあります。
『人事を尽くして天命を待つ』という言葉がありますが、心の傷を負わされた側が具体的で適切な行動を取ったかということです。
それは、ほかならぬ自分のために、「やるべきことをやったか」ということが大切なのであって、相手を許すかどうかにこだわることではないのです。
まとめになりますが、そのやるべきこととは、子ども時代に負わされてきた心の傷や不平等な関係性、そのときの感情の責任を、本来負わなければならなかった相手に返すこと。『返す』とは、負わされてきた責任をしっかりと自分から切り離す作業のことです。
大切なのは、怒りや悲しみなどの”負”の感情を解放し、子ども時代に負わされてきた心の傷や不平等な関係性、そのときの感情の責任を、本来負わなければならなかった相手に(自分の中で)返す作業に取り組むなかで、自分と相手のそれぞれの限界と現実を見定めていくこと。
そして、相手と自分の生きる道が違っても、何の問題もないのだということを明確にしていくこと。
そのうえで、自分の選んだ人生について責任を持ち、自身がつくった新しい家族の幸せに向かって歩みを進めながら、『許す』『許さない』ことからも自由になっていくことなのです。
【著者紹介(五十音順)】
ママ、怒らないで。(新装改訂版) (斎藤 裕, 斎藤 暁子著/ディスカヴァー・トゥエンティワン)
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