素質や才能だけで決まらない! 「親より学力の高い子ども」に育てる声掛け

和田秀樹

学力が全てではないが、低いよりは高い方がいい。そうはわかっているけど、子どものやる気を引き出すのは中々難しいものです。親自身も勉強が苦手だった場合、最初からあきらめモードになってしまう事も。

しかし、和田秀樹さんによると、人間は本来それほど知的能力に差があるものではないのだそうです。我が子の学力を伸ばすためにまず親が知っておいて欲しいことを、和田秀樹さんの著書、『勉強できる子が家でしていること』より抜粋してご紹介します。

※本稿は和田秀樹著『勉強できる子が家でしていること』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです

勇気づけをして、「折れない心」を育てる

「心理学の三巨頭」のひとり、アドラーが主張する心理学のなかで、とくにキーワードとなるのが「勇気づけ」です。この場合の「勇気」とは、自主的に課題に取り組めるようにすることであり、また、自分自身に価値があると思えるようにすることで、「困難を克服する活力」を与えることを指しています。

アドラーの勇気づけの概念は、尊敬・信頼・共感がベースとなっています。困難を克服する活力を与えることで、自律的に行う勇気づけに対して、アドラーは「褒める」「叱る」という行為はやってはいけないと説いています。

なぜなら、褒めることで子どもは親への依存心を強め、褒められるためだけに行動するようになります。また、叱ることは力で押さえつけるだけで、子どもは叱られないために行動するようになるというのが、アドラーの考えです。

「褒める」「叱る」は、相対するようでいて、両方とも自主的に課題に取り組む「勇気づけ」とは、かけ離れているということです。

アドラーが考える「褒めることの弊害」について考えると、たしかに褒めないと動かないような「指示待ち人間」になるのはよくないことです。しかし、勇気づけにつなげるための手段として褒めることは、意味のあることだと私は思います。

褒めることで、自分は賢いのだと自信を持てるようになれば、学ぶことが楽しくなって、自主的にチャレンジできるようになります。賢いと信じていれば、うまく結果が出ないときでも、自分の価値を信じて折れずに立ち向かえると思うのです。

私が自分の母親のことを偉い人だなと思い、感謝もしているのは、「勉強ができるようになる」ということに対して、非常に貪欲で、私たち兄弟に絶対にそれをあきらめさせなかったということです。

前述のように私の弟の場合は、小学校のころまったく勉強ができなかったのですが、それでも母は、「やればできるはずだ」と信じて、あきらめずに公文式に行かせて勉強をさせたりしていました。弟自身も「自分は賢いのだ」と信じて積極的に挑戦を続けて、東大文Ⅰに現役合格しました。在学中に司法試験に合格し、成績トップで留学組となり、現在にいたるまで出世競争を生き延びています。

やらせてみなければ、やる気にはならない

子どもをやる気にさせるには、「勉強ができることがなぜすばらしいのか」「なぜこれからの社会に学力が必要なのか」ということを、繰り返し話して、勉強ができることに対するあこがれを持たせてあげることがポイントです。

一般的には、学力があると、社会に出て自分のやりたいことをやるときに非常に有利になります。あこがれている職業にも就きやすいですし、活躍もしやすい、ということを話してあげて、学ぶことがいかに意味のあることかを教えていくというのがよいでしょう。

かつては、勉強が得意な人は、医者や弁護士を目指そうとしましたが、いまは宇宙ビジネスなどにみられるように、科学技術の発展がめざましい時代です。医療界も法曹界も、これからはAⅠが導入されて、どんどん変化を遂げていくでしょう。

そんな現代において、どのような世界で活躍がしたいか、そのためにはどのような勉強をしたらよいのか、夢を具体的に描くきっかけにしてもよいかもしれません。

しかし、それだけでは子どものモチベーションは長くは続きませんので、「やってみたら、自分にもできた」という快感を味わわせてあげることも必要になります。

子どもの場合は、「やればできるよ」と言われても、結果が出ないことにはその言葉を信じることはできません。それよりも、どんなにまぐれであっても、「できた」という結果が出ればうれしくなってやる気になるのです。

いまの学校教育では、「プロセス」が非常に重視されていますが、残念ながら、プロセスだけを評価してみても、子どもはなかなかやる気になりません。どのような形でもいいですから、「結果」を出させるということに重点を置いてみると、子どもは案外簡単にやる気になってくれるものなのです。

「私ができなかったから、私の子どもも……」なんてことはない

自分が子どものころに勉強ができなかったと思っている親ほど、「自分ができなかったから、子どももできないのではないか」と思い込みがちです。いわば、素質論としてのあきらめの境地なのかもしれません。

しかし、私は素質論というのは間違っていると思います。私自身も、自分が勉強ができないころは素質のせいだと思っていましたが、やり方を変えてからは、すっかり変わりました。また、これまでいろいろな受験生に教えてきた経験から判断しても、素質とは関係なく、勉強の方法を変えることによって学力は上がると私は確信しています。

もし、親が子どものころにできなかったとしたら、本当に正しい勉強方法をしていたのかどうかということをもう一度考えてみていただきたいと思います。

効果的な勉強法をしていたのにできるようにならなかったというのでしたら、素質論に傾いても仕方がないと思いますが、私が推測するには、おそらく、勉強のやり方が非効率的だったのではないかと思います。

人間は本来それほど知的能力に差があるものではありませんから、やり方さえ変えていれば、親自身もはるかに伸びていたのではないかと私は思います。

たしかに、親の学歴が高い子ほど一流の大学に行っているというデータはあります。東大出の親を持つ子どもが東大に行く確率は高くなっています。しかし、それは素質なのではなく、子どもに伝えられるよい学習ノウハウが家庭内にあるからだと私は考えています。

それを証明するかのように、かつて東大出のお父さんたちが本当のエリートとしていまよりもずっと忙しく働いていたころには、東大出の父親を持つ子どもはあまりいい大学に行っていなかったのです。いまでも、東大出の政治家や財界人の子弟を見れば、それほど東大に行っていないのがわかるはずです。せっかくよいノウハウを持っていても、忙しすぎて子どもに伝える時間がなかったのだと思います。

いま現在、親自身が、子どもの能力を伸ばすよい方法を知らないのだとしたら、そして、家庭内に伝授すべきよいノウハウがないのだとしたら、塾などのノウハウを持ったところへ行かせて、子どもに早く勉強のノウハウを習得させる必要があります。あるいは、勉強法の本などを読むことも大切です。

素質論に傾く前に、やる気にさせるノウハウ、学力を伸ばすノウハウを持った専門機関に通わせて、まずは試しにやらせてみることが重要だと思います。それがなければ親が勉強をして、そこで得た勉強法を子どもにやらせてみるべきです。

遺伝がすべてではなく、その子どもに合った勉強法の継承こそが結果を生み出すのです。

勉強できる子が家でしていること 12歳までの家庭教育マニュアル

『勉強できる子が家でしていること 12歳までの家庭教育マニュアル』(和田秀樹 著、PHP研究所刊)

著者は学生時代、「勉強は素質だ」とあきらめていたところ、勉強法を変えることで成績が伸びて、東京大学に合格した経験があります。「子どもに合わない勉強法で劣等感を持たせるよりも、子どもに合ったやり方を見出して勉強をさせれば必ず伸びる」というのが、著者の強い信念です。それができるのは、家庭の働きかけがあってこそ。

中学受験する子も、しない子も! 子どもにとって“最後の砦”といえる、家庭で心得ておきたい「令和版・和田式勉強法」をお届けします。