子を伸ばす親が実践する「6つのこと」 3人のハーバード大生を育てた親の流儀とは【前編】
韓国からアメリカに一家で渡り、3人の娘全員をハーバード大学に進学させたシム・ファルギョンさんは、特別な教育を受けさせたわけではなく、家庭内で親がどれだけ子どもたちの才能と個性を引き出すかを重視していたといいます。
そんな彼女が子育てにおいて大切にしていた6つのことについて、前・後編に分けて紹介します。(本記事は前編です)
※本稿は、シム・ファルギョン著『3人の娘をハーバードに合格させた 子どもが自ら学びだす育て方』(かんき出版)から一部抜粋・編集したものです。
まず確認すべき6つのこと(前編)
子どもは過ちを通じても成長できるものだ。少なくとも、私はそう信じている。子どもはまだ未熟なので、何でもうまくできるわけではない。だから練習と失敗を繰り返しながら成長する。しかし、子どもの過ちは許されるべきだが、大人たちによる子どもへの過ちは許されない。子どもは実験台ではないのだから。
特に教育においては、一度の過ちも許されるべきではない。今回は失敗したけれど、次回はうまくやればいい、というのは、教育者と保護者の身勝手な考え方だ。大人には次の機会があるかもしれないが、子どもにとってはすべての機会が一度きりだ。
子どもに対する過ちは、あとで挽回すればいいと思っても、すでに時期を逸して取り返しがつかなかったり、挽回できなくなったりする。親にとっては一度の過ちでも、その出来事が子どもの記憶に焼きついてしまうと、そのトラウマが生涯にわたり影響を及ぼすこともある。だから、1人ひとりの経験を大切にして、ミスのないように努力すべきなのだ。
そこで親にできる最善の策は、徹底的に確認することだ。私はいつも何かを決めるとき、どれだけ小さなことでも慎重に考え、少しでも見逃していることはないか確認した。それを続けるうちに、今の子どもの状態を正確に評価して判断する「確認者」の姿勢が身についた。私がいつも実践していたのは、次の6つの確認作業だ。
1.子どもの学習意欲
小学校低学年のときの成績は、どれくらい重要だろうか。これに対する私の答えは、「平均なら十分」だ。幼い子を持つ親御さんたちによく聞かれる質問は、「うちの子は勉強があまりできないのですが、アイビーリーグのような名門大学に行けるでしょうか?」だった。この問いに対して、私は決まってこう答えていた。「もちろんですよ!」。
韓国人の親の多くは、わが子が平均よりも勉強ができないと思っている。まるで1等になれなければ、勉強の実力が劣っているとでも考えているようだった。しかし、すべての子どもは無限の可能性を持っている。幼いうちに重要なのは学校の成績ではなく、学習意欲だ。
学習意欲は年齢によって現れ方が変わる。勉強に面白さを感じているのなら、1等にならなくても、平均くらいだったとしても、そこから伸びる可能性は無限にある。逆に、勉強に面白さを感じられないまま親の無理強いで勉強して1等になったとしても、何の意味もない。残念ながら、このような子どもは難関校に行くと、勉強を面白いと思う子たちに必ず負けてしまう。運よく高校まではうまく進み大学に入れても、結局大学で問題が生じる。いくら親でも、大学の成績まで見てあげられないからだ。
子どもがまだ小学生くらいなら、成績よりも学習意欲があるのかを注意深く見てほしい。面白いと思えない科目があれば、原因は何かを一緒に話してみて、親が助けられることはないか考えてみること。そして、子どもが自分の課題をやり遂げるだけの真面目さを持っているかを、必ず一緒に確認するべきだ。
真面目さは、小学校で必ず学んで身につけるべき重要な学習態度のうちの1つだからだ。真面目さがあれば、子どもは自ら学業と成績に興味を持ち、もっと頑張ろうという意志も生まれる。
私は、子どもたちが小学生のうちに真面目さを身につけさせ、与えられた課題がしっかりできているか毎回確認した。こういったスタンスになってから、わが子たちは得意で好きなことをさらに探求する意欲を向上させていった。
長女のヘミンは、勉強の仕方、学んだことを整理する方法、効率的な時間配分の仕方を、中学生のときに知ったそうだ。元々ヘミンは早寝早起きなので、宿題や試験勉強は早めにすませ、遅くとも10時半には寝ていたほど、時間管理も徹底していた。
しかし、高校生だった頃のある日、遅くまで電気がついていたので部屋に入ると、勉強していた。「こんな遅くまで勉強しているなんて、どうしたの?」という質問に返ってきたヘミンの答えは、印象的なものだった。
「私、小さい頃からママに厳しくしつけられて、人並み以上だと思っていたんだけどね。ユダヤ人の友達は勉強をしていないふりをしてるけど、家では並大抵じゃない努力をしてるみたい。だから、私もその子たちみたいにもう少しだけやってから寝ようかなって」
ヘミンのこの意欲には、ユダヤ人の友達も敵わなかった。