子どもをバイリンガルに育てる方法は?異国の子育てでわかった「1言語集中」の効果

シム・ファルギョン

3人の娘全員をハーバード大学に進学させたシム・ファルギョンさんは、韓国から一家で渡米して子育てをする中で、やはり言語の壁に突き当たったといいます。どのようにその壁を乗り越えたのでしょうか。

彼女の著書から子どもたちに行った外国語教育についてピックアップして紹介します。


※本稿は、シム・ファルギョン著『3人の娘をハーバードに合格させた 子どもが自ら学びだす育て方』(かんき出版)から一部抜粋・編集したものです。

外国語の童話一冊を2時間かけて読む

5歳でアメリカに来た長女ヘミンは、到着した次の日から幼稚園に通い英語を学び始めた。幸い、英語を母国語とするアメリカの子たちも、幼稚園ではアルファベットから習った。ヘミンは英語を聞くことも話すこともできなかったが、とにかくアルファベットのa から学び始めた。

そうしてヘミンがアルファベットを1つずつ覚えていくあいだも、家に帰ってくればなじみのある韓国語の童話を読んでいた。どうすれば英語に慣れて使えるようになるのだろうか。悩んだ末、親子で一緒に本を読むことにした。

まず、当時の私のたどたどしい英語のレベルでも読めるごく簡単な童話を1つ選び、ヘミンと一緒に読んだ。私のつたない発音が悪影響を及ぼさないか心配だったので、読んであげるのではなく、ヘミンが幼稚園で習った通りに発音して読むように言った。まず単語を1つずつ発音させてから、それらをつなげて読むようにさせた。そうしているうちに、ネイティブと同じように発音するようになった。

そうやっていると本を1冊読むのに約2時間かかったが、1冊読み終わると繰り返し出てくる簡単な単語はすぐに覚えられた。そうやって自信をつけたヘミンは、それと同レベルのやさしい英語の本も読めるようになった。

外国語を学ぶ際の家庭のルールを決めた

当時ヘミンと一緒に読んでいた本は『Are you my mother?』だった。この本を今でも覚えている理由は、私が子どもと一緒に読んだ唯一の英語の本だったからだ。

一方、次女のヘウン、末っ子のヘソンには、ただの一冊も英語の本を読んであげなかった。読んであげたのは韓国語の本ばかりだ。わが子たちにとっての母国語は韓国語だということを、はっきりさせたかったのだ。

英語のほうがよく使うとしても、英語はあくまで外国語であると認識してほしかった。だから学校に行くようになるまでは、韓国語だけを使うようにして、英語はまったく教えなかった。これに関しては、いくつかのルールがあった。

・家族間では韓国語だけを使う。

・韓国語が自分で読めるようになるまでは読み聞かせをしてあげる。

・外国語は、外国語だけを使って学ぶ。

・外国語の勉強は本から始める(まずは本を読み、映像はその後で)。

・英語以外の外国語にも挑戦する。

アメリカで暮らしているからといって、早く英語を覚えさせようとはしなかった。

英語を母語とする子たちに後おくれをとらないようにと、急いで英語をマスターさせようとする移民の親も多い。しかし、長女のヘミンが言葉を覚えていった様子を見ると、その言語をいつ始めたかよりも、その言語を使ってどれほどの認知的思考ができるかのほうがより重要に思われた。

英語の勉強をしない間に実力がぐんと伸びた理由

現地の子らは幼稚園でアルファベットを習うが、外国人の子はESLコースを別に受けることになる。ヘミンもESLで勉強をした。ところが問題が起きた。勉強を始めて間もなく、夫の留学ビザが満了になり、延長手続きのために韓国に戻らないといけなくなったのだ。そして家族全員で帰国したそのとき、アジア通貨危機と重なり、アメリカに戻るビザ申請が却下されてしまった。私は子どもたちの面倒もそこそこに、ビザ申請のために走り回った。

こんなふうに数カ月も韓国で過ごすとは思ってもおらず、何の準備もしてこなかったため、子どもたちは祖父の家でテレビを見ているしかなかった。紆余曲折ののち、何とかアメリカに戻ることができ、やっとヘミンも学校に通えることになった。

アメリカに戻ってすぐ、ヘミンの担任の先生と定期面談があった。そのとき、先生にこう聞かれた。

「もしかして韓国にいるあいだ、何か英語の勉強をさせましたか?」

韓国で子どもたちのことを気にかける余裕もなかったのに、どういう意味なのだろうか。特に英語の勉強はさせていないが、どうしてかと聞くと、この間に英語の実力がぐんと伸びたから驚いた、これ以上ESLの授業は必要ないくらいだ、と言うのだった。韓国ではひたすら韓国語だけで過ごし、テレビばかり見ていたのに。この現象をどう理解すればいいのか、わからなかった。

この経験から思ったのは、どの言語を優先的に学ぶかというよりも、1つの言語を完璧に駆使しながら認知能力を伸ばすことのほうが重要だという点だ。そのあとで学ぶ言語は、すでに持っている知識を変えてくれる道具の役割をするのだろう。この私のアイデアが確信に変わったのは、次女と三女も同じだったからだ。

次女のヘウンも2歳のときにアメリカに来て幼稚園に入るまで、まったく英語の教育をしなかった。韓国の本を読み聞かせてハングルの勉強をしたのがすべてだった。アメリカで生まれた末っ子のヘソンも同じだった。3人とも、アルファベットに初めて触れたのは幼稚園に入ってからだ。

もちろん最初のうちは、英語を母語とする子どもよりもいろいろな面で後れをとっていたが、2年目になるとぐんと伸びた。英才児だとわかったのもこの時期だった。英語を学び始めて2年ほど過ぎると、持っている知識を英語で表現できるようになったのだ。同時に韓国語も学んで使っていたため、自然に2つの言語を使えるようになった。