「16歳で東大に合格した天才」の過酷な家庭環境…虐待、いじめ、中学から一人暮らし(カリスさん前編)
韓国出身のカリスさん(本名:韓昌熙さん)は16歳で東京大学に合格し、日本政府から「天才認定」を受け、研究実績が認められ永住権を得ました。大学院に進んだ後、国立情報学研究所・医療ビッグデータ研究センターや富士フィルム株式会社などで医療AIの研究に取り組み、2022年6月にカリスト株式会社を起業。現在は、自社で医療AIによる画像診断の構築に情熱を注いでいます。
「僕は医療AIインフラを築くことで、みんな健康かつ笑顔で暮らせる社会を実現したいです」
そう笑顔で語るカリスさんを見た人の多くは、「成功者の華やかな人生」と感じるかもしれませんが、実はそうではありません。カリスさんの人生は華やかなスタートを切ったわけではなく、子どもの頃に家庭内での虐待や学校でのいじめという過酷な現実に直面しながらも、自分で考え行動することで人生を好転させてきました。カリスさんがどのようにして夢を掴み取ったのか。これまで歩んできた道についてお話を伺いました。(取材・文/吉澤恵理)
家庭内の暴力、学校でのいじめ…勉強どころではなかったが成績は
――日本では、東大合格を目指して早期教育を行う家庭もありますが、16歳で東大に合格したカリスさんの幼少期はどのように過ごされましたか?
カリスさん:僕の幼少期は、勉強に集中できるような状況ではありませんでした。父は働かず看護師の母が家計を支えていましたが、アルコールに溺れた父から、ワケもなく暴力を振るわれるような日々が続いていましたので。
――お母さんは、お父さんの暴力から助けてくれることはなかったのですか?
カリスさん:母は、父から暴力を受ける状況に順応してしまっていたと思います。僕は母に何百回も何千回も「離婚すべきだ」と伝えましたが、母は父に依存していたので、僕の言うことを聞いてくれませんでした。
――辛い日々だったと思いますが、学校生活は休息の場となったのでしょうか?
カリスさん:僕は学校でも安息を得られませんでした。学校では常に酷いいじめがあり、椅子の上に画びょうを置かれたり、物を盗まれたり、水をかけられたり、机を投げられたりということが日常でした。
先生も全員見て見ぬふりで、いじめについて相談しても無視されるだけだったので、学校は苦痛でしかなかったです。学校でも家でも、「僕には居場所がない」と感じていました。
――学校に通っていた小中学の頃は、虐待といじめで勉強する環境がなかったということですが、そのころの成績はどうでしたか?
カリスさん:僕は元々頭が切れていましたが、環境柄、意識は常に朦朧とした状態にあり、才能が殺されていたので、クラスで3、4番目くらいの成績でした。
読書とゲームがつらい日常からの救いになった
ミュンヘン工科大学でのカリスさん。3階から1階に滑り台で移動できるそう
――居場所がないと感じるのは、子どもにとって辛いことだと思いますが、どのように乗り越えましたか?
カリスさん:そうですね、ずっと死にたいと思っていました。ただ、気づけば「死ぬくらいなら、人生を賭けた博打に出たい」と思うようになりました。
いくら待ったところで、救世主なんか現れない。僕はずっといじめと虐待を受けて育って、10年以上も救世主が現れることを待ちわびていたけど、救世主が現れることは決してなかったです。だから自分の足で立って歩いて、自分で自分の人生を救おうと思うようになったのです。
いじめと虐待で辛い時期に、僕はいつも読書とゲームで現実逃避していました。
特に、自分が主人公になって敵を倒していくRPGと、どん底から成り上がっていく偉人伝が好きでした。
例えば、フランス皇帝となったナポレオンは1812年のロシア遠征で大敗し、一度はエルバ島に幽閉されますが、島を脱出して再び皇帝に返り咲きました。その後、またワーテルローの戦いで敗北し、今度は幽閉されたセント・ヘレナ島で没してしまいますが。
僕も逆境に追い込まれてはいたけど、そんな偉人たちの何度でも這い上がろうとする姿勢を見習って、自分の人生の「主人公」として、自分の足で一発逆転の道を歩もうとしました。
中学から一人暮らし、学校にも行かず勉強に専念
LAでのカリスさん。多くの日本人宇宙飛行士を乗せたエンデバー号とともに
――実際に行動に移した時期はいつですか?その時の気持ちは覚えていますか?
カリスさん:この家にいても自分に未来はないと思い、出席日数をクリアした中学の冬休みから、学校に行くことを辞めて一人暮らしを始めました。母が最初猛反対しましたが、私の決意は変わらなかったので、一人暮らしや勉強にかかる費用を捻出してくれました。
このどん底の人生から成り上がるには、海外のトップ大学に入るしかない。そう思って、独学で大検に受かってから、(今こそ凋落していますが)当時は技術立国だった、ペーパーテストだけで合否が決まる日本に移住すべく東大だけを受験しました。
足切りを突破した750人の韓国人が試験を受け、上位5人が東大に入学できる国費留学制度でした。
――日本人にとっても東大は難関ですが、失敗の不安はなかったのですか?
カリスさん:一度たりとも失敗するとは思っていなかったので、不安もありませんでした。準備は十分だったので、1万回受験しても1万回合格する自信がありました。
――その自信の源はなんですか?
カリスさん:覚悟が決まれば、迷いは晴れる。僕は断腸の思いで受験したので、誰よりも覚悟が決まっていました。最初から「自分には無理」と決めつけて、不安になって挑戦しないヤツに、成功する資格なんてないと思いますよ。
(後編では、天才になるための勉強法についてお話を伺います)