この絵はパパ?ママ? 両親の争いに終止符を打った“まさかの答え“【うちのアサトくん第5話】

黒史郎
2025.10.16 09:58 2025.11.03 20:00

絵を描く子ども

パパとママ、どちらを描いたかわからない絵を前に、黒史郎さん夫婦は険悪な空気に…!
はたして息子のアサトくんは誰の絵を描いたのでしょうか?

自閉症の息子・アサトくんとの日常を描いた子育て実話ショートショート、「うちのアサトくん」をお届けします。

※本稿は『PHPのびのび子育て』2019年10月号から一部抜粋・編集したものです。
※写真はイメージです。

この絵はパパ? ママ?

「ゆずれないぞ……」

「こっちだってゆずれません」

僕と妻の間に険悪な空気が流れている。

原因は僕らの目の前の1枚の絵。そこに丸い目をした髪の長い人物が描かれている。

作者はアサト。

この絵は誰を描いたのか、そのことで僕ら夫婦は論争に火花を散らしていた。

「髪が長いから私だね」
「僕もどちらかといえば長めだよ」
「『長め』と『長い』は違います。口とかそのまんま私だし」
「ふん、その口とやらの上を見なよ」
「鼻だね」
「そう、鼻だ。この形は僕だ。間違いない」
「いや、リアルパパの鼻はもっとエグいよ」
「え、うそ……」

うちのアサトは同年代の子と比べると言葉にかなりの遅れがある。獲得言語が少なく、人と会話を交わすのも難しい。それゆえ僕たちは、なかなか「パパ」「ママ」と呼んでもらえず、ちゃんとパパとママだと思ってくれているのかと心配になることもあった。

そんなアサトが親を描いたのだ。これは名前を呼んでもらうよりもすごいことだ。しかもその表情はやさしい笑顔。アサトの目に自分がこんなふうに映っているのなら、とても嬉しい。

そういうわけで僕らは、ゆずれない戦いへと突入したのだ。

アサトくんが描いた絵

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「目を見たまえ。丸い。これは眼鏡をかけているってことじゃないか?」
「眼鏡、私もかけるし」
「君はコンタクトもするじゃないか。僕は眼鏡がトレードマークだぞ」
「っていうか、これ眼鏡じゃないよね」
「なに? 目元にあるのが眼鏡でなくて、なんなんだ」
「『目』じゃない?」
「――いいか。これは僕を描いた絵だ」
「まさか。私でしょ、明らかに」

なら作者に聞いてみようじゃないか。

問題の絵の作者、アサト画伯はすぐそばに御座したが、両親の論争など素知らぬ様子。

「お尻の妖怪」や「おばさんパーマの河童 」をお絵描き帳に描いている。普段はこの手のクリーチャーばかりを描いているのに……アサト、なぜ急にこんな人間らしいキャラを描いたのか。おかげでパパとママは是が非でも自分を描いてくれたことにしたくて、休日の朝からこんな感じだよ。

「教えてアサト。これママだよね。それともパふぁ?」
「おい、今の『パふぁ』ってなんだ?はっきりパパって言え。そうやってアサトの混乱を誘うな。なあアサト、パパを描いてくれたんだろ?」

「パパ?」――アサトが答える。

両拳を上げて喜ぶ僕を、妻は「疑問符が怪しい」と押しのけ、「ママだよね?」と訊く。アサトは「ママ」と答える。「ほらね」と妻は僕を見る。

僕らの夫婦仲はけっして悪くはない。むしろ、いい。ケンカだってほとんどない。だから、今日だけだ。今日だけ僕は妻のことを『倒さねばならぬ宿敵』として見る。

「ママ、姑息な真似……そして醜い言い争いはやめよう。正々堂々とやろう」
「そうね。決着つけようか」

あらためてアサトに訊ね、そこで出た答えを受け入れようということになった。

「アサト、この絵はだれ?」
「ママたち知りたいの。この人、誰?」

僕らの質問にアサトは「てんぐ」と答える。

……天狗?

「アサト、違うよな。これは」
「てんぐ」
「いや、天狗はもっとこう――」
「てんぐ」

朝からうるさい僕らにちょっとイラッときたのかもしれない。もう何を聞いてもアサトは「てんぐ」としか答えてくれなかった。

黒史郎

横浜市在住。重度の自閉症(A2)と診断された息子さん、奥様とともに暮らす。著書に、『幽霊詐欺師ミチヲ』(KADOKAWA)など多数。